■ 若手インフルエンサーの「内部からの声」
2025年10月26日未明、参政党を長く支持してきた若手インフルエンサー・石井雄己氏が、SNS上で党代表の神谷宗幣氏に対する批判的な投稿を行い、保守界隈で注目を集めている。
「神谷宗幣にガチで問題があるってことが分かりました」
「クーデターを起こしたいわけじゃない。日本が助かればそれでいい」
「神谷さんが居なくなれば参政党はもっと大きくなれると思います」
(該当ポストはのちに削除)
石井氏は、参政党の政策や理念自体を高く評価しつつも、「党の成長を阻む最大の要因が神谷氏本人である」と指摘。
かつて党を真剣に支えてきた内部関係者による発言として、その内容は重く受け止められている。

■ 理念と実態の乖離:個人崇拝構造の影

石井氏は投稿の中で「内部のことを結構知るようになってから気づいた」と述べ、外部からは見えにくい組織運営上の問題を示唆した。
この「内部を知る立場」という一文が、彼の発言を単なる外野の憶測ではなく、現場感覚に基づいた証言として位置づけている。
参政党は設立以来、「自立・共生・責任」を掲げ、政治参加意識を喚起してきた。
その理念に共感した多くの国民が、ボランティアや献金を通じて支えてきたことも事実だ。
しかし近年、党内では意思決定の集中と異論排除が顕在化しており、「神谷氏の個人支配」「閉鎖的な運営」への不満が水面下で広がっていた。
離党者が続出する中で、石井氏は「全部“左翼の工作員”扱いにするのは無理がある」と述べ、
批判者を敵視する風潮そのものが組織の停滞を招いていると指摘している。
■ 神谷宗幣体制の“閉じた回路”──理想のはずが教団化の兆候

参政党の急成長を支えたのは、確かに神谷宗幣氏の発信力だった。
しかし、そのカリスマ性が組織運営を歪めつつあるとの指摘は、党の支持層内部でも増えている。
党の方向性や発言の多くが神谷氏の意向に依存し、異論を唱える者が次々と排除される構造が続けば、
「理念の党」ではなく「個人の党」へと変質する危険がある。
石井氏が言う「神谷独裁を脱却した参政党」という表現は、その危機感の象徴と言える。
特に、真面目に政治を学び、ボランティアとして活動してきた支持者の多くは、
日本の将来を本気で憂い、純粋な動機で参政党を支えてきた人々だ。
その善意が、閉じた組織構造の中で報われず、
むしろ批判や異論を口にした途端に“敵”として扱われる――。
この構図こそが、石井氏が「ショックで活動を続けられない」と吐露した背景にある。

■ 理念は立派、構造が歪む──参政党が抱える根本的ジレンマ
参政党は、政治不信が深まる中で「新しい政治参加の形」を打ち出し、多くの若年層を惹きつけた。
掲げる政策や理念には一貫して「国を良くしたい」という誠実な精神が流れている。
しかし、その理念を実現するための組織的成熟が伴っていない点が最大の問題だ。
神谷氏を中心とする現在の体制は、理想を旗印にしながらも、
異論を封じる“内向きの統制”に傾き、党員や支持者の多様な知恵を活かしきれていない。
石井氏の発言は、その構造的問題を内部から告発した形になっている。
参政党が今後、本気で国政政党としての信頼を築くためには、
神谷氏個人への依存から脱し、民主的な議論と初心を取り戻すことが不可欠だ。
■ 結論:善良な支持者を生かすために、“神谷支配”からの転換を

石井雄己氏の投稿は、単なる離反ではない。
それは、参政党の理念を信じ続けてきた一人の支持者による警鐘である。
「参政党を応援してきたからこそショックだった」
「神谷さんがいなければ、もっと優秀な人材が集まる」
この言葉には、参政党に集う人々への深い敬意と、
その力が今の体制では十分に活かされていないことへの無念さが滲む。
多くの支持者は純粋で、誠実で、日本を良くしたいと願う人々だ。
だからこそ、組織の中枢にある神谷宗幣氏への過度な権力集中が、
彼らの理想を阻んでいる現実は、あまりに勿体ない。
参政党が本当に理念の党として再出発するためには、
「神谷体制の見直し」こそが避けて通れない課題である。
石井雄己氏の発言は、その転換点を告げる一つのシグナルと言えるだろう。

※石井氏は現在、自身のYouTubeチャンネルに投稿していた動画も削除している。



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