日本の政治には、総理大臣が頻繁に変わる時期と、一人の総理が長期間政権を維持する時期が交互に訪れる傾向があります。長期政権を担った総理大臣としては、安倍晋三、小泉純一郎、そして中曽根康弘が挙げられますが、安倍晋三元総理を除く2人には共通点があります。それは、いずれもアメリカとの深い関係を築き、読売新聞の強力な支援を受けていたという点です。本記事では、日本の政治とアメリカ、そしてメディアの関係について掘り下げてみましょう。
長期政権を支えたアメリカとの関係
中曾根康弘と小泉純一郎の長期政権は、いずれもアメリカの支持を受けて進行しました。特に、小泉政権時代には、イラク戦争を全面的に支持したことが大きな転機となりました。イラク戦争は、大量破壊兵器が存在するというブッシュ政権の主張に基づいて行われましたが、結果的に大量破壊兵器は見つかりませんでした。この戦争を最初に支持した国が日本であり、次にイギリスのトニー・ブレア首相が続きました。ブレア氏は後に誤りを認め、国民に謝罪しましたが、小泉元首相は現在までこの件について言及していません。
中曽根康弘もまた、アメリカとの密接な関係を築いた一人です。彼の時代には、プラザ合意という歴史的な出来事がありました。この合意により、円高ドル安が進行し、日本の自動車産業は大きな打撃を受けましたが、アメリカの自動車産業は救済されました。この時期、日本は急速にアメリカへの経済的従属を深めていったのです。
読売新聞と正力松太郎の影響力
中曽根康弘や小泉純一郎の政権を支えたもう一つの重要な要素として、読売新聞の存在があります。特に、読売新聞を大手メディアへと成長させた正力松太郎の影響力は大きく、彼の背後にはアメリカとの深い関係がありました。正力松太郎はもともと内務官僚としての経歴を持ち、戦後はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監されましたが、GHQとの裏取引により、A級戦犯指定を解除されました。その後、彼はCIAと密接な関係を持つようになり、「ポダム(PODAM)」というコードネームでCIAのスパイとして活動していたことが明らかになっています。
正力はCIAの指示のもと、日本をアメリカの都合の良いように誘導するためのメディア戦略を展開しました。その一環として、読売新聞を通じて日本の大衆をスポーツやエンターテインメントに集中させ、難しい政治問題から目をそらさせる狙いがありました。具体的には、読売ジャイアンツの設立がその典型です。国民の関心を野球という娯楽に向けさせ、社会的な議論を制御しやすくするための手法でした。
さらに、正力は原子力ビジネスの推進にも力を入れました。アメリカ製の原発を日本に導入し、「原子力は夢のエネルギーであり、絶対に安全だ」というメッセージを広めました。これにより、日本のエネルギー政策はアメリカの意向に従う形で進められ、日本全国に原発が建設されていきました。こうしたメディアとエネルギー政策を通じて、正力はアメリカの利益に沿った形で日本を動かしていたのです。
正力松太郎の後継者である渡辺恒雄(ナベツネ)もまた、政治家との強い繋がりを持ち、特に中曽根とは深い関係があったと言われています。ナベツネと組んだ中曽根は、当時の冷戦構造を背景に「不沈空母」という言葉で日本をアメリカの軍事拠点として位置づけ、アメリカへの従属を鮮明にしました。このように、正力とナベツネを中心とする読売新聞は、日本の政治とメディア、そしてエネルギー政策に対するアメリカの影響力を強化する上で非常に重要な役割を果たしていたのです。
正力松太郎がCIAの工作員として活動し、日本をアメリカの都合の良い方向に誘導していたことは、読売新聞と日本の政治の背後に存在する隠れた力を理解する上で欠かせないポイントです。
JAL123便事故とプラザ合意の関係
中曽根康弘がアメリカへの従属を強める中で、1985年のプラザ合意に至る直前に発生したのが、JAL123便の墜落事故です。この事故は、日本の航空史上最悪の惨事として知られていますが、真相はいまだに不明な部分が多く、陰謀論がささやかれています。
森永卓郎氏をはじめとする一部の知識人は、この事故とプラザ合意との関連性を指摘しています。JAL123便が墜落したのはプラザ合意の約1ヶ月前であり、事故の発生直後に自衛隊が現場に到着し、何らかの証拠を消し去ったのではないかという疑惑もあります。また、横田に緊急着陸できる状況にありながら、なぜか横田基地への着陸が行われなかったことも大きな疑問点です。
公式発表では、事故原因は「圧力隔壁の破損による整備ミス」とされていますが、多くの専門家や研究者は、この説明に疑問を抱いています。圧力隔壁が破損して尾翼が吹き飛んだという説が再現実験では再現できていないため、より説得力のある説明として、「機体の垂直尾翼にミサイルが直撃した可能性」が提唱されています。これにより機体が制御不能となり、最終的に群馬県御巣鷹山に墜落したという説です。
特に注目されているのが、駿河湾の海底に沈んでいるとされる垂直尾翼の破片が、いまだに回収されていない点です。この破片の回収が行われないまま、事故原因が圧力隔壁の破損として片付けられてしまったことは、疑念を深める要因となっています。さらに、事故機のボイスレコーダーの公開がいまだに拒否され続けていることも、事故の真相解明を妨げている大きな要素です。
これらの要素から、JAL123便事故は単なる整備ミスによる事故ではなく、アメリカから中曽根政権に対する圧力の一環であった可能性が浮上しています。プラザ合意の前に起こったこの事故が、日本とアメリカの関係、特にアメリカによる日本の支配を強化する一環として利用されたのではないかという仮説が多くの人々の間で議論されています。
日本の独立とアメリカへの従属
サンフランシスコ講和条約によって日本は形式上、独立を回復しましたが、実際にはアメリカの支配下に置かれる構造が続いています。特に、日米安全保障条約や日米地位協定によって、日本はアメリカの軍事的・経済的影響を受け続けています。さらに、特捜部や財務省といった重要な機関もアメリカの意向に従って動いているという指摘があります。
このような背景から、アメリカに従属することが総理大臣の政権を長持ちさせる鍵であるという現実が浮かび上がります。メディアもまた、アメリカに従順な政治家を支持し、守り続けることで、その構造を維持しているのです。
まとめ
日本の長期政権には、アメリカとの密接な関係が欠かせない要素として存在しており、その背後には読売新聞や正力松太郎の影響力が深く根付いています。さらに、プラザ合意やJAL123便事故のような歴史的な出来事は、単なる偶然ではなく、アメリカからの圧力や操作が関与していた可能性が高いと言えるでしょう。
こうした歴史の裏側を知ることで、日本の政治や経済がどのように動かされてきたのかを理解し、今後の展望を考える一助となるはずです。
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