ドナルド・トランプの登場は、アメリカ社会に大きな波紋を広げました。なぜこのような人物が支持を集め、アメリカ政治を揺るがす存在となったのでしょうか?
本記事では、伊藤貫氏の分析をもとに、政治史と思想史の視点からトランプ現象を徹底的に解剖します。アメリカの伝統的な外交政策、リベラリズムの限界、そして能力主義・学歴主義の弊害という3つの視点を軸に、トランプ現象の深層に迫ります。歴史の大きな転換点において現れる特異な存在として、トランプがアメリカ社会に投げかけた問いとは何か?
この記事を通して、アメリカ社会の変容と今後の行方を考察していきましょう。
はじめに
2016年の大統領選でドナルド・トランプが勝利して以来、「トランプ現象」はアメリカ社会のみならず、世界に大きな衝撃を与え続けています。ビジネス界の異端児であり、政治経験を持たないトランプが、なぜアメリカ国民の支持を集め、大統領の座にまで登り詰めたのでしょうか?そして、その後のアメリカ社会にどのような影響を与えているのでしょうか?
日米のマスメディアでは、トランプの言動はしばしば批判の対象となり、「異端児」「ポピュリスト」といったレッテルが貼られることが少なくありません。しかし、単にトランプ個人の資質や言動に焦点を当てるだけでは、この現象の本質を捉えることは難しいと言えるでしょう。
本記事では、国際情勢や地政学、歴史分析に定評のある伊藤貫氏の分析をもとに、トランプ現象を政治史と思想史の視点から深く掘り下げていきます。伊藤氏は、トランプの再選(もしくはそれに近い状況)を、単なる偶然や一時的な流行ではなく、歴史的な必然性を持つ現象として捉えています。特に、2020年の大統領選挙における不正疑惑が依然として根強く、多くのアメリカ国民が選挙結果に疑問を持っている現状は、トランプ現象を理解する上で重要な要素となります。
伊藤氏の分析では、トランプ現象は以下の3つの主要な視点から捉えることができます。
- 伝統的なアメリカ外交への回帰: トランプの外交政策に見られる孤立主義、関税政策、移民制限といった要素は、実はアメリカの過去250年の政治史において、ある意味で伝統的かつ正当な政策であったと指摘します。初代大統領ジョージ・ワシントン以来の中立主義や、ハミルトン財務長官以来の関税政策など、歴史的な文脈の中でトランプの政策を再評価します。
- 自由主義(リベラリズム)の限界: 現代社会において主流となっている自由主義、特に個人の自由や自己実現を過度に重視する考え方には、内在的な限界があると指摘します。ポスト・リベラリズムの台頭を背景に、リベラリズムが社会にもたらす影響を多角的に分析していきます。
- 能力主義・学歴主義の弊害: アメリカ社会に蔓延する学歴主義が、社会の分断と対立を深刻化させていると指摘します。高卒者と大卒者の間に見られる格差や、学歴競争がもたらす人間関係への影響などを具体的に考察し、学歴偏重社会の問題点を浮き彫りにします。
これらの視点を通して、トランプ現象は単なる政治的な出来事ではなく、アメリカ社会の深層に潜む構造的な問題が表面化した現象であることが見えてきます。歴史の大きな転換点において、トランプのような特異な人物が現れた背景には、どのような歴史的・思想的な要因が働いているのでしょうか?次章から、それぞれの視点を詳しく見ていきましょう。
伝統的なアメリカ外交への回帰
トランプ現象を理解する上で重要な鍵となるのが、彼の外交政策に見られる特徴、特に孤立主義、関税政策、そして移民制限です。これらの政策は、現代のグローバル化が進んだ世界においては異質に見えるかもしれませんが、アメリカの過去250年の政治史を紐解いてみると、実は伝統的とも言える要素を含んでいることが分かります。
孤立主義(中立主義)の歴史的系譜
アメリカの孤立主義、より正確には中立主義の起源は、初代大統領ジョージ・ワシントンに遡ります。1793年、フランス革命の混乱の中で、ワシントンは中立宣言を発し、ヨーロッパの紛争にアメリカが巻き込まれることを避けようとしました。この中立政策は、その後約150年間、アメリカ外交の基本方針として維持されます。ワシントン自身も、1796年の退任演説(Farewell Address)で、他国との永続的な同盟関係を持つことの危険性を警告し、ヨーロッパの紛争に巻き込まれないようにすべきだと訴えました。
この中立主義は、その後も歴代大統領によって受け継がれます。19世紀には、グラント大統領が普仏戦争への不介入を表明し、20世紀初頭にはセオドア・ルーズベルト大統領が日露戦争において中立を維持し、講和仲介の役割を果たしました。第一次世界大戦への一時的な参戦(1917年)を除けば、アメリカは第二次世界大戦勃発まで、同盟関係を極力避け、ヨーロッパの政治抗争に深入りしないという姿勢を貫きました。
この歴史的背景から見ると、トランプが「アメリカ・ファースト」を掲げ、同盟国との関係を見直し、海外への軍事介入に消極的な姿勢を示したのは、決して突飛な行動ではなく、アメリカ外交の長い伝統に根ざした考え方であると言えるでしょう。トランプ支持者の中には、第二次世界大戦後のアメリカが、海外での軍事介入や同盟関係を通じて過大な負担を背負ってきたと考える人々も少なくありません。彼らは、ワシントン以来の中立主義こそが、アメリカ本来の姿だと考えているのです。
関税政策の伝統
関税政策もまた、アメリカの歴史において重要な役割を果たしてきました。初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンは、アメリカの産業を保護するために輸入関税の導入を主張し、以後、19世紀から20世紀前半にかけて、関税はアメリカ政府の主要な収入源の一つであり、国内産業保護の重要な手段として用いられました。
1930年代の世界恐慌の原因を、スムート・ホーリー関税法に求める見方もありますが、伊藤氏は、世界恐慌の深刻化は、アメリカの金融政策の失敗、特に連邦準備制度の対応の遅れが大きな要因であったと指摘しています。つまり、関税政策そのものが常に経済に悪影響を及ぼすとは限らず、状況に応じて適切な関税を設定することは、国内産業の保護や雇用創出に有効な手段となり得るのです。
トランプが中国をはじめとする国々からの輸入品に高関税を課したのは、アメリカの製造業の再生と雇用創出を目的としたものでした。これは、グローバリズムの進展によって製造業が海外に移転し、国内の雇用が失われたと考える人々からの支持を集めました。
移民制限の歴史的背景
移民制限も、アメリカ史において繰り返し議論されてきたテーマです。アメリカは移民によって築かれた国ではありますが、移民の流入が急増する時期には、労働市場への影響や社会不安を懸念する声が上がり、移民制限を求める動きが起こってきました。
トランプの移民政策は、不法移民の取り締まり強化やメキシコ国境の壁建設などを中心に、強硬な姿勢が目立ちましたが、移民の流入を制限したいと考えるのは、白人労働者階級だけでなく、ヒスパニック系や黒人労働者の中にも一定数存在します。彼らは、移民の流入が自らの賃金低下や雇用機会の減少につながると考えており、トランプの政策を支持する要因の一つとなっています。
このように、トランプの外交政策に見られる孤立主義、関税政策、移民制限は、アメリカの歴史的文脈の中で見ると、決して異質なものではなく、むしろ伝統的な政策の回帰とも言える側面を持っています。この点を理解することは、トランプ現象を深く理解するための重要な第一歩となるでしょう。
自由主義(リベラリズム)の限界
トランプ現象を考察する上で、避けて通れないのが自由主義(リベラリズム)の限界という問題です。現代社会において、自由主義は個人の自由や権利を尊重する思想として広く受け入れられていますが、その一方で、さまざまな問題点も指摘されています。伊藤氏は、トランプ現象の背景には、現代の自由主義が抱える矛盾や限界が深く関わっていると分析しています。
自由主義の歴史的変遷と現代的課題
自由主義の起源は、17世紀から18世紀の啓蒙思想に遡ります。ジョン・ロック、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミルといった思想家たちは、個人の自由、財産権、法の支配などを擁護し、近代的な自由主義の基礎を築きました。彼らの思想は、アメリカ独立革命やフランス革命といった歴史的な出来事にも大きな影響を与え、現代社会の基盤となっています。
しかし、現代の自由主義は、当初の理念から大きく変容している部分もあります。特に、第二次世界大戦後、新自由主義(ネオリベラリズム)と呼ばれる潮流が台頭し、市場原理主義、規制緩和、小さな政府などが強調されるようになりました。この結果、経済格差の拡大、社会保障の削減、環境問題の深刻化など、さまざまな社会問題が生じています。
伊藤氏が注目するのは、現代の自由主義、特にアメリカの民主党が支持するリベラリズムが、個人の「自己充足」(セルフフルフィルメント)、「自己評価」(セルフエスティーム)、「自己主張」(セルフアサーティブネス)といった概念を過度に重視する傾向です。これは、個人の自由や権利を尊重するという本来の理念から逸脱し、個人の欲望や利益を無制限に追求することを正当化するイデオロギーへと変質していると指摘します。
ポスト・リベラリズムの台頭
このような現代リベラリズムの限界を指摘する思想潮流として、ポスト・リベラリズムが注目を集めています。伊藤氏は、JDバンス副大統領をはじめとする共和党保守派の一部が、このポスト・リベラリズムの立場から現代リベラリズムを批判していると述べています。
伊藤氏は、パトリック・ドゥニーの著書『Why Liberalism Failed』(なぜリベラリズムは失敗したのか)や、アドリアン・バーミュールの『Common Good Constitutionalism』(共通善の憲法主義)などを引用し、ポスト・リベラリズムの思想を解説しています。これらの論者は、個人の自由を最優先する現代リベラリズムは、社会の連帯や共通善を損ない、社会の解体や道徳的退廃を招くと主張しています。
古代の賢人との対比
伊藤氏は、仏教、儒教、ギリシャ哲学、キリスト教といった古代の思想と対比することで、現代リベラリズムの欠点を浮き彫りにします。これらの古代の思想は、いずれも個人の欲望や快楽の追求を抑制し、道徳的な規範や共通善を重視する教えを説いています。例えば、プラトンは人間の欲望を3つの段階に分け、最高次の欲望は真善美の探求にあると説きました。
現代リベラリズムは、このような道徳的な視点を欠落させ、個人の欲望を無批判に肯定することで、人間を堕落させ、社会を崩壊させる危険性があると、伊藤氏は警告します。個人の自由を尊重することは重要ですが、それが行き過ぎると、利己主義や個人主義が蔓延し、社会全体の幸福を損なう可能性があるのです。
トランプ現象とリベラリズムの限界
トランプは、このような現代リベラリズムの矛盾や限界を象徴する存在として現れました。彼は、エリート層が支持するリベラルな価値観を批判し、伝統的な価値観や愛国心を訴えることで、保守的な支持層の心を掴みました。トランプ現象は、現代リベラリズムが行き詰まりを見せていること、そして多くの人々がリベラリズムに代わる新たな価値観や方向性を求めていることの表れであると言えるでしょう。
能力主義・学歴主義の弊害
トランプ現象を読み解く最後の重要な視点は、現代社会に深く根付いている能力主義と学歴主義の弊害です。能力主義は、個人の能力や努力に基づいて評価や報酬が与えられるべきだという考え方であり、一見公平で合理的に見えます。しかし、伊藤氏は、この能力主義、特にそれを象徴する学歴主義が、アメリカ社会の分断を深刻化させ、トランプ現象の背景要因の一つとなっていると指摘します。
学歴偏重社会の構造
現代社会、特にアメリカ、日本、ヨーロッパなどでは、学歴は個人の能力を測る重要な指標とみなされ、就職、昇進、収入などに大きな影響を与えています。「良い大学」を出れば良い就職先に就きやすく、高い収入を得られる可能性が高まるという考え方は、多くの人々に共有されています。このような学歴偏重の社会構造は、学歴競争を激化させ、子供の頃から熾烈な受験戦争を繰り広げる要因となっています。
伊藤氏は、アメリカにおいて、このような学歴主義が顕著になったのは1960年代以降であると指摘します。それ以前は、高卒と大卒の間に現在ほど大きな格差は存在していませんでした。しかし、1960年代以降、大学進学率の上昇とともに、学歴による差別化が進み、高卒者は低賃金の仕事に就かざるを得ない状況が生まれてきました。現在、アメリカでは、大卒者と高卒者の生涯所得には大きな差があり、平均寿命にも差があることがわかっています。また、高卒の女性の方が大卒の女性よりも私生児を産む確率が高く、麻薬による死亡率も高いというデータもあります。
学歴競争の弊害
このような状況は、社会に深刻な分断をもたらしています。高学歴者はエリート意識を持ち、低学歴者を見下す傾向があり、逆に低学歴者は高学歴者に対して反感を抱くという構図が生まれています。伊藤氏は、このような状況を「文化戦争」と表現し、互いを軽蔑し合う状態が社会の分断を深めていると指摘します。
特に、アメリカの大学、特に名門大学への進学競争は、非常に熾烈です。子供の頃から、良い大学に入るために、周りの同級生を蹴落としても自分が勝たなければならないという競争意識を植え付けられます。このような環境で育った人々は、他人への共感や配慮を欠き、自己中心的な考え方を持つようになる傾向があります。そして、このような人々が、学歴社会で優位な立場に立ち、社会の指導者層を形成していくことで、社会全体の倫理観や道徳観が低下していく可能性を伊藤氏は指摘します。
中国・韓国の事例
伊藤氏は、学歴主義の弊害を示す例として、中国と韓国の事例を挙げています。これらの国々は、日本以上に学歴偏重の傾向が強く、熾烈な受験戦争が繰り広げられています。その結果、これらの国々では、出生率が世界で最も低い水準にあります。伊藤氏は、これは当然の結果であると指摘します。子供の頃から競争に明け暮れ、人生に喜びを見出せない人々は、子供を産み育てることに魅力を感じないのかもしれません。
トランプ現象と学歴主義
このような学歴主義に対する反感が、トランプ現象の一つの要因となっていると伊藤氏は分析します。エリート層が支持するリベラルな価値観や政策に対して、高卒者を中心とする層は反発し、トランプのような反エリート的な言動をする人物に支持が集まったのです。
能力主義の再考
能力主義は、努力や能力に基づいて評価されるべきだという理念自体は否定されるべきものではありません。しかし、現代の学歴偏重社会は、能力主義を歪め、結果的に社会の分断や不平等を生み出している側面があります。本当に重要な能力とは何か、学歴だけで判断するのではなく、多様な能力や経験を評価する社会へと変わっていく必要があるでしょう。
トランプ現象が示唆するアメリカ社会の構造的課題
トランプ現象はアメリカ社会が積み重ねてきた政治史や思想史の矛盾を表面化させた結果と捉えられます。外交政策の面では孤立主義や保護貿易の伝統的な要素が改めて注目を集め、リベラリズムが行き過ぎたことで生じた道徳的・社会的な空白への批判が高まりました。さらに、学歴主義がもたらす分断が人々の不満を増幅し、エリート層が支持する現行の価値観や体制に対する反発が支持基盤を後押ししたことも見逃せません。
こうした要因が重なり合ったトランプ現象は、単なる“異端のリーダー”が台頭したという一時的な事件ではなく、米国が抱えてきた歴史的・社会的なひずみが政治を通じて噴出した象徴的な出来事と言えます。これまで見過ごされてきたアメリカ外交の伝統的潮流や、行き詰まりを見せつつあるリベラリズム、そして学歴偏重の格差問題といった構造的課題こそが、トランプの存在感を大きく押し上げたのです。
今後、アメリカ社会がどのように変容していくのかを考える際、トランプ現象を不可解なまま切り捨てるのではなく、背後にある歴史的・思想的背景を丁寧に読み解く必要があります。伝統と革新、個人の自由と社会の連帯、能力主義と公平な評価軸といった大きな問題に真正面から向き合わない限り、同様の“現象”は何度でも繰り返される可能性があるでしょう。トランプの再登場がもたらした根源的な問いは、アメリカのみならず世界が抱える課題への一つの警鐘だと考えられます。
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