江崎道朗 コミンテルン暗躍の歴史

前回の記事『暴かれたコミンテルンの真実』では、コミンテルンがルーズベルト政権のありとあらゆる所にまで食い込み、敗戦後の日本のGHQ占領政策までにも手を突っ込んでいたことが明らかになった。

今回の記事では、ヨーロッパやアジアで繰り広げられている戦争に アメリカが参戦することに反対しているアメリカ国民をどのようにして誘導して「日本との開戦やむなし」と国民感情を操作していくのか、コミンテルンの暗躍について語られている。

「暴かれたコミンテルンの真実」の概要

① 暴かれたコミンテルンの真実
② コミンテルン暗躍の歴史        ←この記事
③ コミンテルン暗躍の歴史 2
④ コミンテルンGHQへの暗躍

目次

日米分断を引き起こし敗戦革命を目標に定める

大東亜戦争(いわゆる太平洋戦争)が始まる22年前の時点で、コミンテルンが組織化され日米分断の敗戦革命を目標に定める。

有名な、レーニンの演説と言うのがありまして、日本とアメリカという二つの資本主義国家同士を お互いの反目を煽って日本とアメリカを潰し合わせて、その上で日本やアメリカを敗戦に追い込んでグダグダにして 大混乱の中で一気に権力を握ってしまえ。

というようなことを やるとレーニンが演説している。

アメリカ共産党が統合

1921年ごろから、アメリカにおける対日政策が変わってきますよね。
日本人はアメリカの土地を自由に買えないとか、父親が持っているアメリカの土地を子供が相続出来ないとか、かなり日本人に対する厳しい政策が取られていきますよね。これもコミンテルンの影響だったんですかね?

レッドスケアという言い方をするんですが、アメリカはソ連がコミンテルンを作った時はですね 当時のアメリカの人たちは警戒しまして、なおかつアメリカ共産党は共産革命のためにはテロ工作をやるんですよ。

アメリカ共産党の人たちは アメリカ国内で「赤の恐怖」と言って嫌われるんです。

残念なことに その時アメリカ共産党にいた人たちは日系人が多かったんです。

日系人や中国系、ユダヤ系、こういう 当時アメリカで差別をされていた人たちが共産党に入っていたんですね。

その結果 日系人が多かったので 日系人は赤だと。
だから 日系人に対する排撃というのが起こってしまった 。

「アメリカ中国人民友の会」が結成

これは何かと言うと1931年の満州事変 以降ですね、中国で日本軍がこんなにひどいことやっていて、中国の人達はこんなに可哀想だから中国の人たちを救うキャンペーンをやりましょうと。

「ライスボウルキャンペーン」と言って一食分のお金を寄付しましょう と言う募金活動を アメリカ共産党が…共産党と言うと嫌われるので「中国人民の友の会」…中国人のお友達になりましょうよ と言って、キリスト教団体とか YMCA とか労働組合の人たちに、これだけ日本軍にやっつけられてる中国の子供たち可哀想でしょ? この人たちを救うためにご飯一杯分の寄付してください みたいなキャンペーンをズーっとやったんです。

ハリー・デクスター・ホワイト

出典:壁紙.com

1941年 この頃、アメリカに100人以上のソ連のスパイが入り込んでいた。
大東亜戦争開戦の年、1941年 ハリー・デクスター・ホワイト という人物の名前がありますが。

この前の年の 1940年にアメリカは日本に くず鉄の輸出を禁止した。1941年 7月に在米日本資産凍結とありますが、その翌月の 8月に石油の全面禁輸。明らかに日本を完全に包囲して動けなくしてますよね。

経済制裁を徹底的にやれと煽った中心人物が、財務省のハリー・デクスター・ホワイトで「日本を追い詰めろ徹底的にやれ」と言ったその人間が、実はソ連のスパイだったということが分かってきて、これは確定しました。

日本の戦争犯罪に加担しないアメリカ委員会

https://digitalrepository.trincoll.edu/moore/46/

これ、1939年にニューヨークとワシントン DC で六万部ばらまかれた、有名なパンフレットなんです。

日本軍が中国で残虐な侵略や虐殺をやって中国人民がいかに殺されてるのか、どんなに日本軍が悪魔みたいな国なんだって言うことを宣伝しているパンフレットなんですよ。

日本の戦争犯罪に加担しないアメリカ委員会という市民団体なんですね。
ところがこの中心メンバー、事務局がですね ヴェノナ文書出てきてるんですが ソ連のスパイばっかりなんです。

これもヴェノナ文書で明らかになった。1995年で初めて明らかになった。それ以前は噂では有ったでしょうけど、はっきりした 。

残念なのは このパンフレットを見て アメリカ人がみんなやってるので、当時の日本軍は米軍やアメリカ政府が反日キャンペーンをやっていると思った。

アメリカ許せないと言って アメリカに対して怒りを持った。反米感情が高まった。反米感情と言ってるけど、実際にやってるのは ソ連のスパイ。

ソ連のスパイが暗躍して アメリカと日本の分断施策を一生懸命 やったってことですね。それに日本とアメリカが乗ってしまった。
結局 両者がお互いにぶつかってしまった。

逆に言うと日本でも「鬼畜米兵」と言って反米感情を煽る人たちがいっぱい いた。 朝日新聞を含め、朝日新聞の記者の尾崎秀実とか。

要は 日本では朝日新聞が反米を煽り、アメリカではソ連のスパイたちが反日を煽り、日本とアメリカが ぶつかって ソ連はしめしめと という構図を作ってしまった。

握りつぶされた極秘報告書

外務省が批判されるんですけど 当時アメリカで、中国大陸で日本はひどいことをやっていると 反日宣伝していることに対し、日本政府は「アメリカけしからん」と言ってたんですが、これに対して外務省の若杉要という在ニューヨーク総領事が

「当地方における宣伝の件」

要するにアメリカにおける反日宣伝に関して 機密のレポートを日本本国に出してるんです。

極秘文章を読むと アメリカで反日宣伝やってるのは アメリカ共産党であり、そのアメリカ人を裏で操っているのはコミンテルンなんだから、そういう謀略に騙されないで反米なんかになるんじゃない。
ということを一生懸命外務省は 日本政府に機密報告書を送っているんですよ。この機密報告書は昭和13年(1938)戦争が始まる3年前に送られてます。

盧溝橋事件が起こった翌年には いやこれはマズいと 外務省はそういうこと一生懸命言ってるんだけれども 当時はもう近衛内閣で…近衛内閣の中にスパイがいっぱい入ってて、この外務省のレポートは握りつぶされてしまった 。

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