ヒットマン山本五十六

ヒットマン山本五十六

やってみせ、褒めてやらねば人は動かじ

聯合艦隊司令長官 山本五十六-太平洋戦争 70年目の真実-のワンシーン。

士官たちが食事をしながら会話を交わし、ともすればアツくなりそうな話題に差し掛かったときに絶妙なタイミングで山本五十六が割って入る。

作戦参謀「ドイツの勢いは止まりませんね」

参謀長「ああ。こっちだって、大和が完成すれば負けんさ」

先任参謀「参謀長、これからの主役は航空機です。大和だの武蔵だの 1隻でゼロ戦が 1000機も作れますよ」

参謀長「黒島、いいか!艦隊決戦こそが我が日本海軍の伝統の・・・」

山本五十六「瀬戸内のイワシは旨いな」

一同「???」

会話を遮るわけでも注意するでもなく、ただひと言 魚が旨い。参謀長も先任参謀も生まれが瀬戸内だったため「瀬戸内の魚は骨まで旨い。羨ましいなぁ」と二人の故郷を持ち上げる。う~ん、まさに理想の上司。

そこへ山本五十六の自己流アレンジ水まんじゅうが配膳される。

砂糖をドバドバとブッかけるのを見た参謀長が「まんじゅうに砂糖ですか?」といくぶん引き気味。

山本五十六がバクっと一口食べ「うンめぇ~」と発したのを確認した部下たちも後に続き、先ほどまでのアツい議論はどこかへ行ってしまう。

やってみせ、褒めてやらねば人は動かじ。食事中であっても演出には抜かりはない。

ところで、これまで山本五十六や帝国海軍が題材となった映画はいくつもあるが、帝国陸軍が活躍する映画なり語り継がれる史実は探すのに一苦労する。いや、ほぼ無いと言っても良いのではないか。

何故なんですか?陸軍将兵はこれっぽっちも活躍しなかったのですか?

最近明らかになった、ユダヤ人避難民にビザを発給した外交官 杉原千畝は帝国陸軍の元軍人だったという事実。知っていても隠していたのでしょうか?それとも帝国陸軍やその関係者が活躍したら何かマズい事でもあるのでしょうか?

戦後なんらかの勢力によって意図的に創り上げられた山本五十六名将論と海軍善玉論。それに対して、勝ち目のない無謀な戦争に突き進んでいったのは帝国陸軍の暴走だったことにしておきたいプロパガンダだったとしたら、私たち日本人は 70年以上も本当のことを知らされずに騙されていたことになる。

陸軍悪玉 海軍善玉

昭和 6年(1931年) 大日本帝国陸軍は満州を侵略し南満州鉄道の路線を爆破、そして満州全土を占領。その後、昭和 12年(1937年)に起きた盧溝橋事件が発端となり、戦線が支那大陸全土へと拡大する支那事変が勃発。これが後に「太平洋戦争」につながっていく。

大日本帝国陸軍と蒋介石が率いる中華民国との戦争は膠着し泥沼化へ。そしてアメリカから対日経済制裁が発動され石油などが入って来なくなった日本はアブラをもとめて東南アジアへ戦線を拡大。ついに昭和 16年(1941年)莫大な生産力と強大な軍事力を持つアメリカをはじめとした連合国を相手に無謀な戦争を仕掛けねばならなくなった。

陸軍が支那大陸で仕掛けた戦争が発端となり拡大に拡大させた戦線を、アメリカと早期講和に持ち込み戦争を終わらせるために海軍が真珠湾を攻撃するために出撃した。

毎年 8月ごろになると新聞もマスコミも「あの無謀な戦争が終戦してから○○年です」と報道し、教科書にも正しい歴史が書かれていませんから、ほとんどの日本人がこのようなストーリーであの「太平洋戦争」を理解している。

これもまた「このように理解するように」させられているとしたらいったい誰が得をするのか。

帝国陸軍の科学性と合理性

日清・日露戦争は明治開国以来、日本を取り巻く東アジアの情勢の中で自国を護るために選択していった結果。

明治 27年(1894年)の日清戦争に日本が勝利し下関条約で遼東半島と台湾、澎湖諸島の割譲と朝鮮の独立が決まった。ところが、清国の李鴻章がすぐさまロシアと密約を結び三国干渉を経て遼東半島を清国へ戻した。しかし、日本が引き揚げた遼東半島にすぐさまロシアが入ってきた。

満州や朝鮮半島の権益を強めようとしたロシアの南下の脅威を防ぐため、明治 37年(1904年)日露戦争が開戦。ロシアの南下政策に危機感を持っていたイギリスが、日本を金銭的に支援することで間接的にロシアを叩いたとも言える。事実、日露戦争の戦費は全てイギリスからの借金で賄われ、イギリスのカネで軍艦、将兵の装備、食糧などを買いロシアと戦った。

日露戦争に勝利した日本はロシアとポーツマス条約を締結し満州に入っていく。つまり、日本は合法的に様々な協議や条約によって満州に権益を得て、清国も含めた当時の国際社会が認める形で満州に居たという事実がある。

この頃になると支那大陸全体にイギリスもアメリカもフランスもドイツも入っており、それらの国々が経済活動を行い利権の拡張を図ることは問題ないが、日本が経済活動や利権の拡張を図る活動を旺盛にするのは侵略だ!ケシカランという話にある時からなっていく。

直接的にはアメリカが最も警戒した。その時、支那大陸の支那人は反英活動をしていたが、ある時点からそれが反日に転換する。特に日本が狙い撃ちとなっていく背景には、有色人種である日本人が支那大陸の利権をひょっとしたら独占してしまうかもしれない。そんなことは許されないという白人特有の思考から来るものだろう。

そして、昭和 12年(1937年)盧溝橋事件が勃発し、戦線が支那大陸全土に広がる支那事変が起こる。その支那事変が膠着状態におちいり泥沼化していった背景にはイギリスやフランスそしてソ連などが蒋介石が率いる国民政府に軍事援助をしていたためである。

昭和 15年(1940年)いずれアメリカとイギリスは日本を締め付けてくるだろうと予想し、その場合『科学的』かつ『合理的』に対処すべきかを策定するシンクタンクを立ち上げた。

そのシンクタンクは秋丸次朗陸軍中佐が率いていたことから『秋丸機関』とも呼ばれていた。正式名称『陸軍省戦争経済研究班』と言う。

すべてをブチ壊したヒットマン山本五十六

東京大学経済学図書館所蔵 貴重図書 5512339978

昭和 16年 7月(1941年)陸軍省戦争経済研究班の調査報告書『英米合作経済抗戦力調査』が策定した結論は、イギリス本国には資源がほとんどなく生産力は脆弱。インドやインド洋海域のイギリスの属領・植民地からの輸入依存度が高い。

ニュージーランド、蘭領東インド(現在のインドネシア)、東南アジア(当時は南方と呼称)、ビルマ、インド、中東からの石油、これらからの物資はすべてインド洋を通りケープタウンを経て大西洋を北上しイギリスへ入っていく。すなわちインド洋の制海権を日本が握ればイギリスを封鎖陥落できるという結論。

イギリスが落ちチャーチル政権が崩壊すればアメリカも易々とは参戦できない。そもそも、当時のアメリカの国民の 8-9割が戦争に反対しており、ルーズベルト大統領も戦争に絶対参加しないと公約し当選しているのでアメリカから戦争を起こすことはあり得ない。

そのアメリカを刺激する必要は全くないので、日本は南方に行って石油を押さえるにしてもアメリカが統治していたフィリピンを戦略上占領しなければならないが直ぐにアメリカに返還するということまで議論されていた。

昭和 16年の 9-10月に陸軍と海軍が一致した戦略を立てた後、昭和 16年 11月 15日 政府と大本営の政府連絡会議が開かれ、そこで来る対英米戦争に向けた戦争戦略を決定している。その決定に基づき天皇陛下が開戦を決断している。

そこでの結論は以下二つ

1、アメリカを怒らせるようなハワイ攻撃は絶対にしない
2、フィリピンは占領するがアメリカにすぐ返還する

そして戦略の一番のキモとなる部分は、海軍は全てインド洋に出撃し制海権を獲る。同時に陸軍もインドに出兵。イギリスを経済的に封鎖陥落させるとともにインドの独立を促す。するとチャーチル政権が崩壊する。さらに中近東あたりでドイツ軍と合流するという絵も描いていた。

ここまで合理的かつ科学的な戦略を立て大東亜戦争に勝算アリと導き出した陸軍。しかし、その戦略をブチ壊し大日本帝国を敗北に追い込み世界中を戦争に巻き込んだ真珠湾攻撃を実行したのは山本五十六だった。

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